道は開ける

道は開ける(D. カーネギー)

道は開ける

「人を動かす」こちら)でおなじみのデール・カーネギー氏。

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人を動かす

本誌は、彼の二大著書との一つと言われており、いつか読みたいと思っていました。

 

「人を動かす」のときは、他人の承認欲求をくすぐる手法が中心に書かれている気がして、若干躊躇する部分もありましたが、

こちらの「道は開ける」の方は、

自分自身を見つめる内容が中心となっており、

今の私にはかなりしっくりくる事柄で埋め尽くされていました。

人はなぜ悩むのか

悩まないために、日頃からどのようなことを心がけるべきなのか

 

が、本書の2大テーマだと思います。

先人たちがどのような方法でこの人々が抱える難問を解決してきたか、例にもれず膨大な実例を紹介しながら説いていきます。

 

 

最初に紹介されているのは、「悩みに対する基本事項」

何かに悩んでいる人達は、その悩みに支配され、正常な判断から遠ざかっていくようです。

まずは、悩んでいる内容を分析すること。

 

今悩んでいる内容は、過去起こってしまった事?それともこれから先の未来に起こり得る事?

過去は変えられないし、未来はどうなるかわからない。

今日できることは「今日」しかないのです。

 

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過去と未来を鉄の扉で閉ざせ。今日一日の区切りで生きよう。

もし、今悩みを抱えていたら、次のルールを適用します。

  1. 今悩んでいる事で、起こり得る最悪の事態とは何か、を自問する
  2. やむを得ない場合には、最悪の事態を受け入れる覚悟をする
  3. それから落ち着いて、最悪状態を好転させるよう努力する

 

そうして自分の置かれている状況と考えている内容を客観的に分析すると、見えてくるものがあるはずです。

例えば、

  • 些細な事に心を食い破られていないか
  • 起こってしまった事態をいつまでも悔やんでいないか
  • 他人の言動に反応していないか
  • 疲れが正常な判断を妨げていないか
  • 自分が今生きている事に感謝できているか

等々。

 

「悩み」の原因は人によってそれぞれ違います。

「死」「貧困」など、生きていく上での基本事項で悩まなければならない人もいれば、

生活環境は十分だけれども、

「対人関係」「不透明な未来」など、毎日不満や不満を抱えて生きている人達もいます。

 

 

このような全ての悩みに対して、人々がどう向き合い、克服していったか、それぞれのストーリーがとてもおもしろく、そして勉強になりました。

 

 

色々と紹介したいストーリーはあるのですが、

その中でも特に心に引っかかったのが、

「神」に悩み事を委ねる人達の話です。

 

以前から「心の拠り所」として宗教はとても強いと思っていましたが、

私は宗教観の薄い家庭で育っているので、拠り所となる特定の神がいません。

今はプロテスタントの教会の人々と親しくさせてもらっていますが、

キリスト教の「人格を持つ神」というものにはどうしても違和感を抱いてしまいます。

 

カーネギー自身は、敬虔なカトリックの母を持ち、

極貧という困難な状況に父親が負けそうになったときも、

母親はひたすら神に祈り、心の平穏を崩さなかったそうです。

やがてカーネギーは進学し、聖書が書かれた経緯などについて勉強すると、その所説に多くの疑問を抱くようになり、不可知論者になりました。

 

けれども、彼は、その後多くの書籍や体験談を知り、

「神に祈る」

という行為の底知れぬパワーに気づきます。

 

400年程前のフランシス・ベーコンの言葉

「浅薄な哲学は人の心を無神論に方向け、深遠な哲学は人の心を宗教へ導く」

は正しかった、と彼は述べます。

 

キリスト教に限らず、イスラム教、仏教など、特定の宗教を信仰する人達は、

祈る相手は違えど、毎日決まったタイミングで祈りを捧げています。

この「祈る」という行為には、

人々に心の平穏をもたらす明確な理由があるようです。

 

祈ることで、何に悩んでいるかを言葉で明確化する

祈りはある意味で、問題を紙に記述することににている。

言葉にすることで、自分が何に悩んでいるかが具体的に見えてくる。

これを毎日決まった時間に繰り返すと、自身を客観視する事ができる。

 

悩んでいる内容を他者に預け、目の前の課題に集中できる

自分の力だけで人生の荒波を乗り越えようとしないで、もっと大きな力に助けを求め、心の負担を減らすことができる。

自分ではどうすることもできない悩み事は、「神」という壮大な存在に預け、「自分が今できること」にのみ注力するという意識が生まれる。

 

祈りは、行為という積極的な原理を強制する

「何かが成就するように祈る」という行為は、成就させようと努力する「行動」の第一歩である。

自然の神秘な力が私達を支配している限り、それを神と呼ぼうと、アラーと呼ぼうと、霊魂と呼ぼうと、その定義にこだわる必要はない。

 

 

私には元々「祈る」という習慣がないので、

毎日本気で神に祈るのは、なかなか難しいと思います。

 

けれども、「祈る」という行為が心の平穏をもたらす理由について深堀りし、自身の行動に転用できないか、もう少し考えてみたいと思います。

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