嫌われる勇気

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本書は、心理学の3大巨頭と称される、アルフレッド・アドラーの思想を、

アドラー心理学の専門家である岸見一郎氏とライターの古賀史健氏が、

青年と哲人の対話という形式でまとめ上げた本です。

ざっくり言うと、

「他人の目を気にせず、自分の人生を生きよ」
「過去や未来に捕らわれず、今、この瞬間を生きよ」

という事かなーと思いますが、

そんな風にまとめてしまうとこの本の深さが伝わらない気がしてしまう程、感銘を受ける内容が綴られていました。

 

以下、内容の紹介と個人的な解釈:

行動の背景にあるのは「原因」ではなく「目的」

例えば、誰かが自分に粗相をして「かっと」なり、怒鳴ってしまった場合、

原因論を基にすると

「相手が粗相をしたこと」に怒鳴ったという行動の「原因」がある

と考えます。

しかし、アドラー心理学の目的論では、

「怒鳴るために怒った」

という風に考えます。

一瞬「?」となりますが、つまりは

「相手を威嚇したいとか、相手に謝らせたいとかいう

『目的』の為に『怒り』という感情を作り上げた」

というのがアドラー心理学の考え方という事です。

 

なるほど。

例えば自分の子供を注意する時、

心に余裕があれば、相手が受け入れやすい言葉で伝える事ができますが、

心に余裕がない時、声を荒げてしまう事があります。

その時の自分を省みると、色々言葉を選ぶのが億劫になり、大きな声を出す事で、その場の子供の行動を変えようとしているように思います。

 

目的論の範囲をもっと広げると、

自分が嫌いで変わりたいと思っている人が、なかなか変わる事ができない状況も、

その人の過去や元の性質に「原因」があるのではなく

「変わらない」という目的があるからこのままでいる

のだそうです。

 

今のあなたが不幸なのは自ら不幸である事を選んだから

 

自分が変わる事で降ってくるであろう困難に対処する勇気がないから、

現状維持を選択している。

「幸せになる勇気」が足りていない

と哲人は諭します。

全ての悩みは「他人との比較」から生まれる

哲人は「全ての悩みは対人関係」と言います。

「それは極論だわ。そりゃ対人関係は一番大きな問題かもしれないけれど、飢餓とか病気とか仕事とか自分との闘いとか、他にも色々あるでしょ。」

と言うのが最初の私の感想。

本書でも青年が皆の意見を代弁してくれます。

 

けれども、

「宇宙の中で1人でいれば、全ての悩みはない。」

「個人だけで完結する、所謂『内面の悩み』などない。」

と言うのがアドラーの考え方だそうです。

 

確かに、空腹はつらいけど、みんな飢餓で死ぬ状況下にあってそれを受け入れられれば悩まないし、

お金も 病気も 死も 仕事も 自分との闘いも、他者との比較がなければ悩みとして成立しないような気がします。

太っている事が悩みだったとしても、周りの方がもっと太っていたら「自分は太っているな」と思わないですよね。

 

この「全ての悩みは対人関係」という考えが根底にあり、

アドラーは、多くの人が苦しむ「劣等コンプレックス」にメスを入れます。

これはまさに他人との比較により生まれる感覚です。

 

「劣等感」は誰しも持つ感覚であり、それは自身を向上させようとする動機として役立ちます。

しかし、それを自分自身の向上のために向けるのではなく、

「どうせ〇〇だから」

という言い訳に使い始めたり、

逆に、能力や権威等、優越感に浸れる内容を持ち出して空威張りや自慢をし始めたりしだす(優越コンプレックス)と危ない、と哲人は説きます。

また逆に、自分がいかに不幸かを説く人も、自分が特別な存在として見られたいというコンプレックスに苛まれており、

それらによって居心地が良く、自分が安心できる(という「目的」がある)ので、そこから抜け出そうとしないのだそうです。

 

対人関係の軸に「競争」があると、人は対人関係の悩みから逃れられない

 

大切な事は、他人と比較したり、他人に勝とうと躍起にならにならない事。

自分に向き合い、自分のなすべき事だけを見る事。

 

他人から権力争いを挑まれた時には、絶対にのってはいけない

― 戦いは復習を呼び、終わりがない。

 

相手を非難しない

― 自分が正しいと思い始めた時、既に競争の世界に足を踏み入れている。

 

これは、「反応しない練習(こちら)」で紹介されていたブッダの思想にも通じると思います。

承認欲求を否定し、課題を分離せよ

他者から承認されると、自分に価値があると安心できる―

哲人はその考えに警鐘を鳴らします。

 

我々は、他者の期待を満たすために生きているのではない。それは他者の人生を生きる事になる

 

では、どうすればよいか?

 

大切な事は、

”自分の課題と他者の課題を分離する”

という考え方。

 

例えば、―これは耳に痛い例ですが—

子供が勉強しない事を親がいら立ち、勉強の必要性を説き、強制的に机に座らせたとします。

それで子供は納得して勉強するでしょうか?

 

子供が勉強するかしないか、これは子供自身の課題であって、親の課題ではないのです。

勉強しない事で影響する将来は、子供が受ける事象であって親が受けるものではありません。

 

親は「子供のためを思って」という言葉を使って言い訳しますが、勉強させたいという心理には、世間体や見栄など、「自分のため」という目的が隠れています。

このような例は、「7つの習慣(こちら)」でも登場しました。

 

だからといって、アドラーは子供を放任せよ、といっているわけではありません。

子供はまだ大人を経験しておらず、勉強をする/しないという選択がそれぞれどのような将来につながるか、明確に想像できない場合もあります。

その時、その可能性について情報を与える事は、親として必要な事です。

けれども頼まれもしないのに子供の課題に土足で踏み込むような事をするべきではありません。

馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませることはできない

 

逆に、上司や同僚など、誰かが自分の課題に踏み込もうとしたら・・・

その時も、

「ここまではあなたの課題、ここからは私の課題」

と、課題を分離し、自分の課題にのみ意識を向けるよう、哲人は諭します。

哲人の勧める考え方
  1. まず「これは誰の課題か」を考える
  2. 他者の課題には介入せず、自分の課題には誰一人介入させない

実践可能となるまでには、事ある毎に反芻する必要があると思います。

けれども、この考え方を自分のものにできれば・・・強力です。

より大きな共同体の声をきけ

あなたは世界の中心ではない

人は往々にして自分を中心に物事を考えがちですが、

自分は共同体の一部であって、中心ではない

と肝に銘じる必要があります。

この考えがとくに助けになる状況は、

例えば学校や職場でいじめにあった時など、

「自分は大きな共同体の一部である」

という事を思い出せれば、より大きな共同体の声を聞く事ができるようになります。

いじめはその小さな共同体の中でだけ起こっていることで、

より大きな共同体が広がっている事に目を向けれれば、様々な意見を聞く事ができるし、

小さな共同体から出ればよいと考える事ができるのです。

叱っても褒めてもだめ

D. カーネギーの「人を動かす(こちら)」では、「とにかく褒めろ」と繰り返し説いていますが、

こちらのアドラーは、「褒めちゃだめ」との事。

なぜかというと、

「褒める」という行為は「上の人が下の人を褒める」という上下関係から生じるものだから

という事です。

アドラーは、「縦の関係」は劣等感を生じるものと説き、「横の関係」を推奨します。

 

ここは一瞬「え?」となりますが、

「縦の関係」「横の関係」を相手によって使い分ける事はできない

と哲人は言います。

誰か1人と縦の関係になれば、全ての人と縦の関係になり、

誰か1人の横の関係になれば、全ての人と横の関係になる、

そうです。

 

自身を省みると、確かに、アドラーの定義する「横の関係」として思いつく相手はおらず、

一見同等の関係に見える同僚や友達とも何らかの「縦の関係」になっているように思います。

ただ、家族内ではちょっと違って、夫とは「横の関係」のように思うのですが・・・また、子供とは「横」の時もあれば、「縦」の時もあるように思います。

このあたり、どうなのでしょう?

一度哲人に聞いてみたいです。

 

哲人によると、横の関係において大事な言葉は

「ありがとう」

という感謝の言葉です。

ここには、「他者を評価しない」という重要な意味合いが含まれています。

私も「ありがとう」は魔法の言葉だと思っています。

いつでもどんなときでも使っていきたいです。

ここに存在しているだけで、価値がある

自分に何かをしてくれた、という「行為」レベルで他者をみるのではなく、そこに存在してくれているという「存在」レベルで他者をみること。

それにより、その人がそこにいるだけで感謝できる。

と哲人は言います。

これは非常に胸に刺さります。

真っ先に思いつくのは、家族。

自分の子供に対して、理想像を勝手に作り、そこから我が子を減点していく ― これは「評価」の発想になります。

でも、子供達をありのままに見て、存在してくれることに感謝する。

このような感覚は、たびたび訪れますが、日常に忙殺すると忘れがちになる事があります。

常にこの気持ちを忘れないようにしたいです。

「私と一緒にいてくれて、ありがとう。」

自己受容・他者信頼・他者貢献

自己受容:ありのままの自分を受け入れる事

ここで大事な事は、自己受容自己肯定の違いについてです。

例えば、テストで100点取りたかったけれども60点しかとれなかった場合。

「今回はたまたま実力が発揮できなかっただけで、本当は100点取れる実力があるんだ。」

と自分に言い聞かせるのは「自己肯定」

「自分は60点の実力だ。」

と認め、

「次は100点取れるように、今から勉強を頑張ろう。」

と思う事が「自己受容」になります。

 

自己肯定を続けている間は、ある意味自分に嘘をついている事になり、心穏やかでない状態が続きます。

ありのままの自分を「受容」する事。

これが第一歩になります。

他者信頼:他者に対して懐疑的にならず、信頼する事

他者は裏切るかもしれないし、自分に不利益な事をするかもしれない。

でも、そうする事は「他者の課題」であって、「自分の課題」ではないのです。

では、自分の課題は?

常に他者を信じる事。

懐疑的になれば、相手もそれを察知して懐疑的になります。

こちらが信頼を寄せれば、相手も信頼を寄せてくれるかもしれません。

けれども、相手がどう思うか、行動するかは関係ありません。

「私はあなたを信頼する」

自分の課題はそれだけ。

他者貢献:幸せとは、自分が誰かの何かに貢献していると思える事

自分を受け入れ、他者を信頼する事ができたら、他者が「仲間」になる。

他者が仲間であれば、自分の属する共同体に存在してもいいんだ、という安心感につながる。

これは、承認欲求とつながる事にもなりますが、アドラーはあくまで「承認欲求を否定せよ」という立場です。

承認欲求は、自分がここに居てもいいんだ、という安心感(所属感)の為に、「他者の承認」を必要とします。

けれども、本来、「他者の承認は必要ない」のです。

自分自身が他者に貢献している、という他者貢献の感覚があれば、他者からの承認がなくとも、自身の所属感を得る事ができます。

また、他者貢献とは、「わたし」を捨てて誰かに尽くす事ではなく、むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそなされるもの、という事も心に留めておく必要があります。

いま、この瞬間を懸命に生きる

人生とは、連続する刹那、「点」の集合である。

生まれてから死ぬまで、もしくは目標を達成するまでを「線」で描くのではない。

「線」でとらえてしまうと、目標を達成せず死んだ場合、「道半ばで」死ぬ事になる。

逆に、何か目標に向かって頑張っているその一瞬も、人生と考える。

 

今、生きている「この瞬間」に強烈なスポットをあてれば、

過去や未来を薄暗く照らし、それらが見えている気になる事はない。

その一瞬一瞬を丁寧に、真剣に生きる事で、気が付くとどこか別の場所にいる、そんなイメージ。

まとめと感想

この本は、折に触れて何度か読み返しました。

「トラウマなどない」

「全ての悩みは対人関係」

等、キャッチ―だけれども反感を覚えそうな言葉が並ぶため、すぐには腑に落ちない事もあるかもしれません。

けれども、アドラーの説く内容自体は、ブッダの教えにも共通するものがあると感じましたし、7つの習慣に出てくる事例とも合致するように思いました。

すぐに実生活にとりいれるには、もう少し勉強と理解が必要な気がしますが、

私自身が大切だと思った事

  • 他人と自分との課題を分離し、自分の課題にのみ集中する事
  • 過去や未来を言い訳にせず、今、この瞬間を丁寧に真剣に生きる事

この2点を常に心に留め、毎日を懸命に生きてみたいと思います。

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