「本当に重要なのは何か」
それ以外の事は、全部捨てていい
- 今まで、自分が色々なものに手を伸ばしすぎていると感じた事はあるか?
- 自分がいっぱいいっぱいで力を発揮できていないと感じる事はあるか?
- 自分の領域が誰かの仕事に侵されていると感じる日はあるか?
- ただ相手を喜ばす為だけに”Yes”といい、それで憤った事はあるか?
このような内容に一つでも心当たりがある人は、
「エッセンシャル思考」の考え方を取り入れることで
現状を打開できるかもしれません。
私は、ほぼ全ての項目に身に覚えがあるので、この本を読みました。
著者のグレッグ・マキューンは、人々を
エッセンシャル思考の人
と
非エッセンシャル思考の人
の2つに分類し、
エッセンシャル思考とは何か、
どのように人生に取り入れるべきか、
を丁寧に説いています。
原著では「Essentialism」という言葉を使っていますが、
直訳すると「本質主義」。
「本質を見極め、本質のみを大切にする」
という考え方を、
「エッセンシャル思考」
という言葉で和訳されています。
非エッセンシャル思考 | エッセンシャル思考 | ||
考 え 方 | みんな・すべて ・やらなくては ・どれも大事だ ・全部こなす方法は? | → | より少なく、しかしより良く ・これをやろう ・大事なことはめったにない ・何を捨てるべきか? |
行 動 | やることをでたらめに増やす ・差し迫ったものからやる ・反射的に「やります」という ・根性でがんばる | → | やることを計画的に減らす ・本当に重要なことを見定める ・大事なこと以外は断る ・あらかじめ障害を取り除いておく |
結 果 | 無力感 ・何もかも中途半端 ・振り回されている ・何かがおかしい ・疲れ切っている | → | 充実感 ・質の高い仕事ができる ・コントロールしている ・正しいことをやっている ・毎日を楽しんでいる |
「エッセンシャル」というタイトルの割には、
文章の書き方がちょっとエッセンシャルじゃなかったりするので、
何度か読み返す必要がありましたが…
個人的には、
オリジナリティは前半にあり、
後半は、一般的に勧められている事項を、著者の言葉で表現されているように感じました。
まずは、
エッセンシャル思考とはなにか
それは、
- 時間と労力の使い方を「選択」する事
- 世の中の大半のモノは「ノイズ」だと理解する事
- 何かを選べば何かを失うという、「トレードオフ」を受け入れる事
そして、
エッセンシャル思考に必要な3つの技術
- 「見極める」技術
- 「捨てる」技術
- 「しくみ化する」技術
うまく「見極める」ために必要な事
- じっくりと考える余裕
- 情報を集める時間
- 遊び心
- 十分な睡眠
- 何を選ぶかという厳密な基準
例えば仕事を頼まれた時、自分の心に90点ルールを作り、それを満たさない仕事は断ると決める。
うまく「捨てる」ために必要な事
重要な事にエネルギーを集中させるため、不要なものを切り捨てるが、
そのためには自分の目標や戦略が「完全に明確」でなければならない。
そのために「本質目標」を決める。
そして、「断る方法」のレパートリーを増やしておく。
うまく「しくみ化する」ために必要な事
- 予定にバッファを作っておく。
- 徹底的に準備する。
- 見積もりは1.5倍で考える。
- 小さな一歩を積み重ねる。
- 習慣化して労力を減らす。
- 「いま、この瞬間」に集中する。 etc...
感想と私のアクションプラン
自分に当てはめて見た場合、
アメリカに来てからの私の行動は、全て
「非エッセンシャル思考」
だったと言えると思います。
渡米後しばらくは、
国や大学や子供達を預ける施設などの事務手続きに追われ、
毎日泣きじゃくる子供達のサポートで余裕のない中、
体は疲弊し、日中眠気に襲われていました。
そんな折、上司達からミーティングを設定され、
そのミーティングの趣旨もわからず、
今後のリサーチプロジェクトの事を話すのだと勘違いして
焦って情報収集をしました。
準備が不十分な状態の中でプレゼンを行い、
大きく失敗して軌道が外れました。
自分が本当にしたかった事は伝える事ができず、
それから
自分にはあまり意味の見いだせない内容の仕事が
次々と舞い込んできました。
私は「No」と言うすべをもたず、
今も複数のプロジェクトに時間が分散されています。
そして、それらのプロジェクト中のいずれも、
自分が心血を注ぐ価値があると感じられません。
「エッセンシャル思考」に従えば、
今からでも、これらのプロジェクトを「やめる」と宣言し、
自分が本当に価値があると思える、
心から打ち込める研究テーマを追求しにいくべきなのでしょう。
しかしながら、考えた結果、
私は「やめる」という選択をやめました。
理由としては
- 複数のプロジェクトのうち、2つはもうすぐ形になるところまで来ている。
- そのうち一つは、独力では手の届かないジャーナルに投稿予定である。
- 家族全体の事を第一に考えると、あと1,2年のうちに帰国したほうがよい。
- 帰国後の事を考えると、私には留学中の業績が必要である。
- 全てを切り捨て「コレだ」と思えるものを今から探し続けても、それを見つけ、上司を説得し、プロジェクトを初め、ある程度形にするのに、2年は短すぎる。
もし、留学前にエッセンシャル思考を学んでいれば、
留学当初に目指していた
「自分の考える質の高い研究」を追求するために、
全ての仕事を「No」と言って、
自分で見つけて示せるまで待ってほしいとお願いしていた事でしょう。
しかし、年齢や時間制限などの要素が自分を取り巻き、
家族を犠牲にするという選択肢は考えられない今、
私は目標を
「新しいことを学ぶ」
から
「自身の能力を活かし、施設の力を利用して
今後有益となる業績やコネクションを作る」
という方向にチェンジしつつあります。
そして、それは私が
「本当に研究者として生きていきたいか」
という問いの答えにもなるように思います。
元々、私は臨床医になりたかったし、そのためのトレーニングも積んできました。
しかし、脳神経内科領域では根本的治療のない疾患が多く、
患者さんにもケア中心となる事が多いと感じました。
もっと病気のメカニズムを知って、
少しでも患者さんに還元したいと思い、
大学院に入りました。
けれども、研究を始めると、その深さに入り込み、患者さんと離れた内容を考える事が多くなりました。
基礎研究と臨床をどちらとも追求するというのは、かなり難しいと思います。
元々私がなりたかったものは何か。
それは、「病気のメカニズムに精通したお医者さん」だったし、
今もそうです。
「自分が心から打ち込める研究テーマを追求する」事は、
「研究者」としての「本質」ですが、
果たしてそれが、「私が目指す人生」の「本質」なのかと問われると、
言葉に詰まる自分がいます。
私にとっての「本質」とは何なのか、
そこから考える必要があるような気がします。
まだ気持ちが定まってはいないので、
もう少し時間をかけてじっくり考えたいと思います。
また、本書は原著と少し表現が違う部分もありそうなので、
原著の方も読んで参考にしたいと思います。