人はなぜ、悩み、苦しみ、執着を手放せないのか――。
この本では、仏教の開祖であるブッダの悟りにその答えを求め、そしてどうしたらその苦しみから開放されるのか、について語られています。
日頃の悩みは、「心の反応」から始まる ―― 心のムダな反応をやめる事で、一切の悩み・苦しみを抜ける事ができる、とのこと。
「反応しない練習」のあらすじ
「反応」する前に「理解」する
人には、7つの欲求がある。
このうち、最も厄介な物が「承認欲」である。
欲求が満たされれば快楽となり、満たされなければ不満となる。
反応する限り、このサイクルを繰り返す。
まずは、自分が反応している事を受け入れ、その悩みの原因は何か、考える。
心の状態を言葉で確認(ラベリング)し、客観的に分析する。
これにより、ムダな「妄想」をリセットする。
良し悪しを「判断」しない
人はなぜ「判断」したがるのか。
「判断」には「承認欲」を満たす快楽がある。
しかし、満たされなければ苦痛となる。
願いが叶わなかったら、その願いはもはや存在しない「妄想」なのである。
それに「執着」するから、見えている気になっているだけ。
「こんなはずではない。」
「自分はこうあるはずだ。」
「自分は正しい。」
という「判断」から、離れてみる。
正しく理解する者は「自分が正しい」と思う事がない。
だから、苦しみを生み出す「執着の巣窟」に引き込まれる事はない。
「判断」を止めれば、人生は流れ始める。
マイナスの感情で損しない
- 不快な感情が生まれるのを防ぐ/生まれたら早めにリセットする
- 相手とどうかかわるか考える
上記二つは、別ものである。ごっちゃにしない。
イメージとしては、
- 頭の前半分で相手を見て、相手の考えを理解する。
- 後ろ半分で、自分がどう反応しているか観察する。
相手に対し、過去の不快な感情を持ち出して目の前の言動を「判断」しない。
相手を常に新しい人と考え、プレーンな目で見て理解する。
他人の目から「自由になる」
他人からの評価を追いかけない。
「妄想」という「脳のデタラメ」を真に受けない。
人はなぜ比較したがるのか、これも「承認欲」を満たすためである。
他人が認めてくれるかどうかは、他人が決めるものであって、自分がコントロールできるものではない。
「正しい努力」とは、「人に認められるため」や「成果を上げるため」といった「外部のもの」を目標にする事ではない。
一度作業を開始したら、他人や外の世界を「妄想」してはダメ。
取り組むときは「無心」で。
正しく「競争」する
まず、目を閉じてみる。
「勝ちたい」
「あの時こうしていれば・・・」
浮かんでくる考え、それは全て「妄想」である。
目を開けると、現実の世界が広がっている。
本人の妄想の中にのみ、「もっとできるはずの自分」がいる。
外の世界を見ないで、自分の内側にある「動機」や「今、自分ができること」を見る。
苦しみが生まれるようであれば、それは考え方を間違えているという事である。
考える「基準」を持つ
正しい心に「戻る」。
何度でも。
留めておきたい言葉
- 自らの反応をみよ、反応に気づけ、そして自分を苦しめる反応を解消して自由になりなさい。
- わたしはわたしを肯定する。
- 他人の物事の為に、自分のなすべき事を捨て去ってはならない。自分の物事を熟知して、自分のなすべき事に集中せよ。
私の感想
この本のキーワードは、「反応」「承認欲」「判断」「妄想」だと思いました。
「外的な刺激にすぐに反応しない事」
という内容は、Stephen R. Covey氏の「7つの習慣」と通じ、
「他人の目や過去、未来にとらわれる事なく、今、目の前の自分に集中する。」
という内容は、アドラー心理学にも通じるように感じました。
ブッダが生きてきた2500年前から、人の苦しみは変わっていないようです。
理想と現実の自分が解離し始め、どう生きるべきか模索している私に、一条の光を投げかけてくれた一冊でした。