marie curie

Who Was Marie Curie?(Megan Stine)

Who was Marie Curie

長女(8歳)の学年では、2ヶ月に1回くらいのペースで自由研究のようなプロジェクトがあるのですが、

今回のプロジェクトは「尊敬する女性」というテーマでした。

イントロダクションに沿って自分が調べたい女性の偉人の生い立ち、家族構成、業績、最後の言葉、尊敬する言動等を調べ、模造紙にまとめたり、パワーポイントでスライドにしたりして発表します。

長女「私、マリー・キュリーにしようかと思うんだけど、どう思う?」

「お、いいね。お母さんの一番尊敬している人だな。」

長女「えー!ホント!?じゃあ、手伝ってくれる?」

……とゆーことで、長女と一緒にマリー・キュリーについて調べました。

 

いくつか本を読みましたが、この「Who Was Marie Curie?」が、子供向けの書籍のなかでは最もよく書かれていると思いました。

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Who Was Marie Curie? のあらすじと感想

1867年にポーランドのワルシャワで産まれたマリア・スクウォドフスカ(Maria Sklodowska。後にフランスのソルボンヌ大学に入学する際、フランスの読み方であるマリーと名乗り始めます)。

学校でサイエンスを教える父親と、校長先生の母親、兄、3人の姉、という家族構成。

「学び」を最も尊重する両親の元で育ち、マリー自身も5ヶ国語を話し、数学やサイエンスに強い関心を持つ子供として育ちました。

 

いくつか彼女の伝記を読んでいましたが、「お母さんが校長先生」だったというのはこの本で知りました。

女性の教育が許されない時代に、校長という役職を得たお母さんも、とても苦労されたんじゃないかと思います。

 

この「学問は男性のもの」とという概念は、マリーの少女時代から研究者時代のかなり最後の方まで、彼女に苦労を強いる事になります。

まず少女時代、マリーは飛び級してもその学年でダントツの先生で卒業し、「大学でもっと学びたい」と考えますが、

当時のポーランドに女性を受け入れる大学はなく、彼女は女性も受け入れているフランスのソルボンヌ大学に入学します。

 

またその後、研究者として素晴らしい仕事をしていても、研究資金面はマリーではなく夫のピエールに話がいくなど、

「女性」というだけで通常の研究者とは異なる扱いを受けます。

 

例えば彼女が「ポロニウム」「ラジウム」という2つの元素の存在を見出して放射能の概念を生み出し、

それの結晶化に成功して人々に納得させ、

世界中に認められてノーベル賞を受賞しても、

当時の彼女の役職は教授ではありませんでした。

 

その数年後に彼女は教授になりますが、それは夫ピエールが事故で他界し、彼の教授職を継承するためでした。

それがなければ、当時のソルボンヌ大学で女性教授が誕生することはなかったようです。

 

1回目のノーベル賞をとった時の彼女の仕事も、「夫ピエールを手伝った」という評価しかされていませんでした。

 

「他者からの正当な評価」自体を彼女が気にしていたかどうかはわかりません。

今ほど女性に対する評価を声高に主張する風潮ではなかったと思うので、彼女自身はそこまで気にならなかったかもしれません。

ただその「他者からの正当な評価」を受けられないことで、彼女が研究面で相当苦労した事は確かです。

 

「研究」に対する強い熱意と卓越した能力があり、

それを裏付ける素晴らしい結果を出していても、

彼女が「女性である」という理由で、アカデミー会員に入れてもらえなかったり、十分なポストや研究施設が与えられなかったりしました。

彼女は、満足のいく研究施設やポジションを得るために、男性の何倍もの努力をしなければなりませんでした。

 

 

ノーベル賞受賞により、マリーは一躍有名になりますが、その際新聞紙が使った彼女の名前は、

「Madame Curie(キュリー夫人)」。

彼女の生涯、そして没後も長い期間、彼女は「キュリー夫人」と呼ばれます。

 

私が子供の頃に読んだ伝記のタイトルも「キュリー夫人」でした。

子供の頃はこの呼び方に何の違和感もありませんでしたが、考えてみれば「キュリー氏の奥さん」という意味なので、やっぱり変だと思います。

日本の伝記には未だに「キュリー夫人」というタイトルを多くみかけますが、アメリカの本はだいたい「マリー・キュリー」と本名で書かれています。

マリーの娘エーヴが後に出版した彼女の伝記も「Madame Curie」というタイトルだったので、当人達は気にしていないかもしれませんが、

私は、この「キュリー夫人」という記述は改めるべきだと思います。

 

 

この本の中には、彼女がどれだけ一途に学問を追求したか、という内容以外にも、

彼女の精神面の繊細さ、恋愛による人生のターニングポイントなど、様々な姿のマリーが描かれており、

最後のページを読んだ時には自然と涙が溢れました。

 

 

私はメインブログのタイトルに「ママ研究者の雑記帳」という名前をつけましたが、

マリーの「ママ研究者」ぶりを想像すると、私がこの名前を使うのはかなり痴がましく感じてしまいます。

 

私は私なので、ブログのタイトルを変える予定はありませんが、

「では最も尊敬するママ研究者は?」

と聞かれたら、私は

「マリー・キュリーです。」

と答えます。

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