京都大学大学院医学研究科分子細胞情報学講座教授 月田承一郎先生。
52歳という若さで惜しまれつつこの世を去った時には、数々の著名な国際雑誌に追悼論文が掲載されたそうです。
私は直接の面識はないですが、幸運ともとれるひょんな出会いから彼について知る機会を得たので、彼の生前の言葉を知りたいと思い、本書を手に取りました。
若い研究者へ遺すメッセージ 小さな小さなクローディン発見物語
幼少期から学生時代
最初の頃は、幼少期から学生時代の様子、奥様との出会いなどが書かれていました。
「自分で言うのも編ですが、成績は抜群によく……」
「勉強する(不順な)動機も生まれました。今の家内(月田早智子)に出会ったのです。」
など、ユーモアのある、独特な語り口で語られていて、彼のユニークで面白そうな人柄を想像しました。
「視力」
この本では、かなり早い段階から「視力」という言葉が出てきます。
これは、「物理的にものが見える、見えない」といった「視力」ではなく、「他の人が見えないものを見えるかどうか」という意味での「視力」になります。
歩き回っていると、その周辺に宝物が転がっている事があります……けれども、多くの人達はそれが宝物だと気づかない……。
同じものが視界に入っても、それが重大な事柄かどうかに「気づく」事ができるかどうか、これは研究を含め、何か事を成す上で最も重要な能力の一つだと思います。
研究者にとっては、
- まずは歩き回る(実験しまくる)事が必須条件
- そして大部分の人が気づかないような事に気づける事が大切なこと
この「視力」は、生まれ持った頭の良し悪しも関係しますが、一生懸命勉強して「鍛える」事ができる、と言います。
……この部分の科学の「視力」は、鍛えることができます。一生懸命勉強すれば良いのです。ただ、情報を羅列的に頭に入れるだけでは「視力」は高まりません。自分なりの知識体系を頭の中に作るのです。また、知識が幅広い事も大切です。どんな種類の宝がたまたま落ちているか分からないのですから。
―― 月田承一郎著 「若い研究者へ遺すメッセージ 小さな小さなクローディン発見物語」より
「独創性の高い」研究ができるためのポイント
もう一つの関連話として、よくある「山登り」の話が出てきました。
研究者が初めて自分の責任で研究を遂行しようとするとき、まず、どの山に登りたいかを決めるでしょう。その時、凡人には(要するにほぼ全ての人には)大きな立派な山の頂しか見えません。
ー中略ー
中には、どんどん装備や陣容を充実させ、スピードを増して、先人を追い越し、その賑わっている山の初登頂を果たすケースもあるでしょうが、それでは僕の言う「(凡人の)独創性」としては面白くない。
ー中略ー
……とりあえず賑わっている目標の山江向かって進んでいく。ある時、ふと、自分がひとけのない山の近くを通っていることに気づき、立ち止まり、よーく眺めてみる。確かに誰も登っていない。その知覚を多くの旅人が通り過ぎているのにもかかわらず、誰一人として振り返らずに通り過ぎていく。見えていないのだろうか?その旅人にはかなり高いいただきがぼんやりとでも見える。そこで意を決して、方向転換してその未踏峰へのアタックを始める。
この「多くの旅人には見えない山が自分に見えること」が独創性の高い研究ができるための重要なポイントと言われています。
……たしかにそのとおりだなと思いました。
色々な研究者の話をきくと、フレミングのペニシリンの発見しかり、レントゲンのX線の発見しかり、柳澤先生のオレキシンの発見しかり、重大な発見とは、何か別のものを探しつづている途中に遭遇する「意外な発見」のことが多いと思います。
もちろん、近くにたまたま「その山」が存在していたという「運」も必要ではあるわけですが。
七転び八起きのクローディン発見物語
- 綺麗な単離接着装置をとるために、多くの動物から抗原を取っていき、最終的にヒヨコの肝臓からオクルディン(occludin)を見つけることができたこと
- でも、なかなかマウスやヒトからオクルディンがとれず、「オクルディンってニワトリにしかないのとちゃうの?」という皮肉まで聞こえてきたこと
- やっとの思いでヒトやマウスのオクルディンをとることができたけれども、オクルディンノックアウトマウスを作ったら予想に反して綺麗なTJストランドを形成し、「オクルディンがなくてもTJはできる」という結果に顔面蒼白したこと
- 単離接着装置を処理して、オクルディンと同じ挙動をするタンパクを抽出し、対に「真の幻のTJ内在性膜タンパク質、クローディン(claudine)」を見つけることができたこと
科学者としての「視力」がモノを言うこともさることながら、やはり「顔面蒼白の結果が出ても、諦めず、そこからヒントをつかむ」という姿勢が、大切のように感じました。
感想
この本は、とても短く、完結にまとめられています。
膵臓癌やその治療と戦いながら、著者が2週間程度で書き上げたそうです。
本当は、もっともっとたくさんのストーリーがあったのだと思いますが、本当に伝えたかったことだけに内容を絞って書かれたように思いました。
最終章の「これから」、「謝辞」、そして奥様が執筆された「おわりに」を読み進めるにつれて、涙が溢れ、止まりませんでした。
本人とご家族が一番思っていることだと思いますが、私もやはり「もっと長く生きてほしかった」と思います。
若い研究者の人たちに、ぜひ読んでもらいたい一冊です。